田中店長のこだわりとは
食べる事と見ることは違う事。
現地まで行って触って、見て、足を運んで仕入れた食材で
お客様が自分でコースを組めるような飽きないメニューをスタッフ一同で提供していきます。
田中 浩一
10代から飲食業界へ参入、露店など様々な店舗を経験。
株式会社デリカへ
【高円寺・魚一】の立ち上げ店長として入社。
現在は自身、二店舗目となる
【赤羽・魚一】の店長として活躍する。
入社の経緯を教えてください。
弊社の社長とは10代の頃から知りあいなのですが、連絡は取っていない時期の方が多く、会わなかった時期は長いんです。でも、ある日バッタリと再会したんですよ。そこから一緒にやらないか?と誘われて。偶然じゃない縁を感じてOKを出しました。
飲食歴は長いんですが、お店の立ち上げ自体は初めてでした。
業者さんや関係者と一から繋がりを作っていく事に興味があったこともあったので快く引き受けました。
お店を立ち上げから繁盛させるための、具体的な施策などはありましたか?
自分自身、お酒が本当に美味しいと思い始めた時期があったんです。
それで自分で調べて繁盛店に足を運んで、食べたり飲んだりで勉強を始めました。
やっぱり繁盛しているお店って、美味しいんですよね、雰囲気もすごくよくて。
それから自分のお店でも同じようなこと出来てるのかな?と考えたら、自分たちはできていないな、甘えてるんじゃないかという想いが生まれました。
悔しかったですね。そこから更に奮起しました。
他のお店の良さを勉強し、改良して取り入れたりもしましたね。
他では、スタッフとお店が終わったあとによく飲みに行っていたのですが、仕事の話でぶつかったりもして。
双方の意見取り入れてやってみようか?と。
もともと、旬なイベントをやりたかったということもあったので施策を話し合う形で。
ただ、スタッフには、自分がこうしろと突き通すのは簡単なんです。なので、みんなで売り上げ目標立てて、一緒に向かっていこうよ、と。
喜びは共有し、同じ所を目指して進んでいくことが大事だと思っていましたね。
だからこそ、お互いの意見を取り入れて改善してみる。
そうしたら自然と常連さんも増えていって、気づいたら繁盛していたという感じでしょうか。
その後、赤羽の魚一へ、店長として就任されるわけですよね?
そうです、その頃は高円寺のお店も盛り上がってましたし、今の店長(現・高円寺・魚一店長)もアルバイトから育っていて、トータルで見ると店舗としては問題はありませんでした。
でも、現状維持のままでいいのか?と。会社として成長していくには?と社長と話してたんです。そこから今回の赤羽で物件が見つかって、じゃあ自分にやらせてほしいと名乗りを上げたんです。
その土地に根差したジャンルは何か、食材はどうするか、形態はどうするか、客層はどうか、そういった根本的なところから社長と相談を繰り返して始めましたね。
僕は和食、創作が得意なんですが、そこから社長がマグロを仕入れられるということになって、マグロメインでやってみようと。
そんな流れで赤羽店はオープンさせました。高円寺店は現店長へ引き継ぐ形で。
別店舗も立ち上げのこだわりが見えますが、それは田中さん自身のこだわりでもあると思います。大切にされている職人気質のような事もあったりするのでしょうか?
食材や調味料は自分の足を使って、目で見て、味を見て仕入れた物しか出したくないっていうのはありますね。
例えば自分が出したい魚があったとしても、鮮度が悪ければ諦める。
普通の人が見たらわからない部分でも食べたら違う。エラをめくってみたり、内臓を見たりして判別してます。見るのと食べるのではやっぱり違うので。
あとは勉強を続けている中で、自分でレシピを作ってみたりもします。
洋食の素材でも和の味付けにしてみたり。それは昔からやってますね。
基本は春夏秋冬、旬なものを出したいし創作していきたいので。
そのためには日本全国に自分で足を運んで、自分自身で認めた食材を提供したい想いがありますね。
お客様が飽きないようにしたいです、定番メニューがあって、季節の物が先取ってあって、ここに来たら毎日手書きメニューがあって、前菜から食事まで自分でコースを作れるようなお店にしたいんです。
※田中店長が作ってきた年期の入ったレシピたち
あとはコミュニケーションですね。お客様が何を求めているのか、瞬時に判断することです。
一人にしてほしい人も、喋りたい人も、ご飯を静かに食べたい人もいるわけですから。
目を見て話してくれるかどうか、要素は多々あるんですが、そういった細かい部分を意識して経験から判断してますね。
「今」という空間を全力で提供することによって、喜んで声をかけてくださる、お客様がリピーターとなって頂ける。最終的にはお店の繁盛につながる。
最高の品質を提供することから連鎖していくお客様の喜びを大切にしたいと考えています。
その接客やこだわりは、従業員にも受け継いでいるのでしょうか?
うちでは、決められた接客はつまらないと思っているんです。だから最低限のことを守ってもらえれば言う事はないですね。
お客様がどんな気持ちで、笑顔で喋ってくれているのか?まで考えて接客できていれば、自由でいいと思うんです。
逆に僕よりもスタッフの方が丁寧な時もあるぐらいです。楽しく、そして慣れてくればスタッフは自分からアレンジを入れるようになるものなんですよ。
ただ、怒るときは怒ります。
バックルームでぺちゃくちゃお喋りしていたりするときは、やることやったら表にでましょう!お客さんと喋りましょう!という感じで。
あとは普段うるさく言わない分、僕の指示だしは絶対です。
お客様がずっと笑顔で居られる空間を作るための指示なので。
目指すところとしては、縛りがあまりない環境で、常にみんなが笑顔でいられる。
みんなが同じ方向へ進んでいけることを心がけていますね。
向上心を持って、怒られても不貞腐れるんじゃなく、前を向いて吸収してほしいですね。
どこの店舗へ行っても、凄いな!と言われるスタッフに育ってほしいと思っています。
折れない心を持って行ってほしいですね。
そういう姿勢が出来れば、自ずと自分の評価やお店の評価にも繋がるんだよと。
その姿勢は、ご自分も若い時に経験したことがあるからでしょうか?
昔、18歳のときに高校行きながらですがアルバイトの管理を任されていて。
学校行きながらシフト作ったりしてたんです。
で、ある日そこの社長さんが来て第一声
「お前クビ」と。
理由もわからず、夜泣きましたね、意味がわからなすぎて…。
そのときは怒られてる意味がわからない自分を許せなかったですね…。
若い時って、たとえ社長さんに言われたとしても意味がわからない。
今では受け止められるんだけど、やっぱり若いときは難しいと思うんです。
なので折れない心は持ってほしい、そして楽しんで仕事をするなかで発見していけることを大事にしていってほしいですね。
結局、その時に怒られた理由はお客様の満足を得られなかった。
接客態度が悪かったという事だったのですが、
お客様に喜んでもらえる事を大切にできなかったんだなと。
今の積み重ねが未来に繋がる事ですし、自分の中の最善のおもてなしが出来てこそ、自分やお店の評価に繋がる事なんだなと痛感する出来事でもありました。
そういった様々な経験を次世代へつなげるということですね。
今を大事にしている田中さんだからこその、未来への展望はありますか?
未来は独立も考えてはいますが、何店舗も持ちたいわけじゃなく、するとしても自分の一店舗だけでやっていきたいと思っています。
近い将来の展望でいえば、赤羽は神輿や花火大会など催しも多くて、もっと地域密着としてこのお店を盛り上がっていけたらと思っています。
まずは踏み出してみるっていう。今を大切にしていけるからこそ、未来に繋がるんだと思います。
そうして更に地域を含め、盛り上げて行けたらいいなって思ってますね。