長島店長のこだわりとは
第二の自分の家だと思えるような雰囲気を、おもてなしを実現させていきたいです。
美味しいことは当たり前として、そこにお客様それぞれに特化した空間を提供していきたいですね。
長島 駿太
大学時代より株式会社デリカへアルバイト入社。
以降も、自社社長の元、複数店舗で修行を積む。
独立を目指し同社へ就職。
【野方の囲み屋・店長】を経て、現在は【株式会社irodori】の代表取締役へ就任。
【赤羽・丸太小屋】・【野方の囲み屋】の二店舗の運営を管理。
入社はどのような経緯だったのでしょうか?
明治大学へ通うために上京してきたんですが、近所をブラブラしていて家から一番近いお店に入ったら、求人があったので電話したのがきっかけです!近かったもので(笑)
高校時代はずっと部活人間だったんで、腰を据えてアルバイトするのも初めてでした。
その時は18歳だったんで、大人の方と共通の話題が見つけられず接客で困りましたね。
当時、様々な動きが会社にあって山梨にもお店だしたりしていて。
他の飲食でもアルバイトしてたんですが、一年で貯めたお金を使って引っ越したんです。
高円寺付近のお店でやらないか?と声かけてもらって。
そしたらまだ始まらないよ?って社長が言うんで、色々な店舗へ行ったり来たり全部並行で修行に行ってました。だってもう引っ越しちゃってるしお金もないですし(笑)
アルバイトなのに1時間半かけて通勤するのはおかしい気もするんですが、苦じゃなかったですね!
アルバイトとしては厳しい条件だと思いますが、継続できた理由はありますか?
自分がアルバイトっていう感覚よりは、柱となって引っ張っていく感覚だったので。
アルバイトだけど、店長に間違えられたら勝ちだなって思ってたんですよ。
負けず嫌いなところもあって、一時間働けば時給が保証されるじゃないですか?
だから、あれも嫌これも嫌って言ってるより、前向きにやったほうが時間も早く感じるし、社会に出ても通じる事だと思っていましたね。
目に見える成果が数字でもわかって、どれぐらい売れた!っていうのはわかるんでモチベーションにもつながってましたし。
自立心の強さだと思いますが、気持ちの面でバックグラウンドは何かありましたか?
もともと入学当時は公認会計士になりたくて。でも、監査的な事がメインな職だなって気づいてちょっと合わないかも?と思ったんです。クリエイティブさに欠けるなって。
もっと自分で考えたことをアクションとして起こして仕事していきたいなって気持ちが強くて。
そのあとは起業、経営戦略のゼミに入ったんです。みんな独立志向が強いような。
で、いざ就活ってなったときにみんな何故か就職したんですよ。メーカーさんとか銀行とかに。苦笑
僕も就活もしたんですが、自分は独立を目指したいって発表してデリカに就職したんです。
※当時社長からもらった料理包丁
「ご自分で考えた事を仕事につなげる」、ということは具体的にはどういうことですか?
アルバイトの時でも、自分が売りたい商品ってあるじゃないですか?
それを自分で売れるようにリードしたり、接客に組み入れたり、お店のレイアウトを変えてそこに売りたい物を配置してみたり。入りやすい雰囲気を作ったり。小さい事なんですけど、言われる前にそういう事は全部やってましたね。
あとはインフラ構築もそうでしたね。ルール決めというか一律化というか。
簡単な事だけでもまとめておくんですよ。誰が見てもわかりやすいように。
そうすれば苦手な事が多い人でも、ヘルプに急に来てくれた人も、1つは必ずできるんで。そしたら楽しくなるしお店も回るんですよね、一緒に頑張ろうというスタンスにもなりますし。
力業としては朝4時に行ったりっていうのはしてましたが、それはまあ力業なんで…苦笑。
考えて生み出す、自分にしか出来ない仕事をする、その姿勢が結果を残したんですね。
その後、囲み屋の店長へ就任されますが、そこにもそういった経緯があるのでしょうか?
山梨で出会った社員がいて、その人と一緒に立ち上げようって言って今のお店をオープンさせるんです。が、しかし!です、一週間で居なくなっちゃったんですよ…。汗
アパートももぬけの殻で。
店長になるときと、会社として独立させるのも同時だったこともありまして。
あれダメ、これダメと、厳しい事とかも立ち上げにあたって言っていたのが原因かなとは思うんですけどね。なあなあにやりたくないな、気が抜けないようにしなきゃ!って想いが強くて。
で、料理はその人が担当だったから、料理が出来ない中で…いなくなったその日に1人でお店開けてオープンして…苦笑
追い詰められたからやるしかない!って他店舗からヘルプも出しませんでしたし。
見よう見真似で営業前、営業後に毎日料理を作ってみて。
軌道に乗るまでも1年ちょっとぐらいかかって…真冬に寒いしお客さんも来ないし…
ああ、俺どうしよう、何やったらいいんだろう…って、その間は本当に心が折れました。
一難去ってまた一難という経緯があったからこそなんですね。
その苦労された経験から、現在も強く実行しているモットーなどはありますか?
心から尽くす事ですかね。おもてなしの心というか。
メニューにないものでも作ってって言われたら可能な限り作って出す。毎日お勧めを変える。自分が地方とか実家に行ったら現地の美味しい物を買ってきて出す。半額イベントだったり、定額で日本酒のキャンペーンやってみたり。
あとはずっと笑顔でありつつ、親身に相談に乗ってみる。ざっくばらんな話を心がけて、自分の家に帰ってきたような気持ちでいてもらえるようにしますね。
正直、ご飯やお酒を飲みに来て美味しい物を出すって当たり前だと思うんです。
どこのお店行ったって美味しいじゃないですか?
そこにどんな付加価値をつけられるかが大切だと思ってます。
料理の丁寧な説明だったり、ストーリーだったり、目の前で何かをする演出だったり、雰囲気作りだったり。その人が心地良いなって思える距離感を保つ事、懐に入り込んでもちょどいい距離感でいることですね。
友達みたいに仲良くなってなあなあになるのは仕事じゃない、それってプロじゃないと思ってるんで!
ご自身にしか作れない環境、おもてなし、という事をプロとして実行されているんですね。
その信念を継続していく中で、未来の展望など思い描く事はありますか?
こういうお店をやっていると、一地域に携わるわけじゃないですか?だから、町の雰囲気の一角になりたいですね。そうして、自分の店舗、つまりスタッフみんなで作る店舗を増やしていきたいですね。時間はかかってもいいので。
従業員の生活を保障してあげたり、やりたいことをプラスαで自分の色を出して仕事をしてもらいたいですし、一緒に楽しく、それこそ前述したクリエイティブを発揮できる環境を増やしていきたいです。
そしてお客様も、楽しそうだなってフラっと立ち寄って、そして自分の家のようにくつろげる空間を増やしていきたいと思っています。
人を想う強い心が生み出す未来だと感じましたが、どういった事から養われた姿勢なのでしょうか?
もともと、友達とかからも尽くしすぎぐらいに皆には言われてたんですけど…。
大学の時も旅行行くってなれば、友達の分まで旅行のしおり作ったり、予約も全部僕がしてみたりっていう。やっぱりそのクリエイティブしてあげたいなって思う気持ちが、今のおもてなしに繋がってるんじゃないかなって思います。
そういうところを含めて、変わってるのかなとも思いますけどね(笑)